Feature

​細田 守 氏 独占インタビュー

杉浦

細田さん初めまして。お会いできて光栄です。本日は、お忙しいところインタビューを受けて頂き、ありがとうございます。限られた時間の中ですが、全国の同窓生に伝わる充実した内容をお聞きしていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。

細田

はい、よろしくお願いします。

同窓生、母校愛を語る。

杉浦

なんだかんだ金美出身者って、みんな美大が好きですよね。

細田

そうだね。

杉浦

金美出身の有名な方のインタビュー記事とかでも、「金沢美術工芸大学出身で」っていう前置きがわざわざあったりするじゃないですか。やっぱり言いたくなるのかなって。

細田

僕は比較的言っている方だけど、言わない人も居る。人それぞれだよね。大学に行ったことで良かったことは? って聞かれたら、いちおう良かったこと言うけど、実は後悔してるっていう話だってなくはない(笑)。

杉浦

後悔したこと、ありますか?(笑)。

細田

もちろん、不満が無いわけじゃないですよ。金沢美大のまず何が不満かって、東京から遠いっていうのがね。

杉浦

あ、僕は在学中に新幹線が通ったんで。

細田

あー。

杉浦

三年生ぐらいの時でしたね確か。

山戸

就活とかも、新幹線に乗って行ってましたし。

細田

僕たちの時は、急行能登で行くしかなくて。知らないでしょ、急行能登?

杉浦

わかんないです(笑)

細田

急行能登って、当時一番安く東京まで行ける方法で、周遊券で10,000円と少し。学割使って9,000円くらいだったかな? 深夜急行で10時間ほどかけて上野まで行くっていう。だって今、新幹線乗ったら片道14,000円くらい? 今の人はお金に余裕があるね。

山戸

でも開通する前は、夜行バスで行ってましたね。

細田

そうか。急行能登の代わりが夜行バスだ。

山戸

5,000円ぐらいで行ってました。

細田

わっ、こっちのほうが安いね(笑)。

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入学を決めた、意外なきっかけ。

杉浦

では改めまして、アニメーション映画監督でもあり、我々の大先輩である細田さんに最初の質問です。そんな金沢美大に入学を決めた一番のきっかけを教えてください。

細田

うーん、きっかけは、出身の富山県から近かったからですよ。後は……、受かったからじゃないですかね(笑)。実は第一志望は芸術学部のある某国立大学で、そこに行きたかったけど、2次試験のデッサンで落ちた(笑)。

杉浦

信じられないですね。

細田

それで金沢美大の油絵科に行くことになるっていう。

山戸

私はてっきり、絵のスキルを高めるために金美の油画に行かれたのかなって勝手に解釈していました。

細田

油絵科は、いろんな美大の中でも一番絵が上手い奴が行く科目、みたいな認識があったので、「俺なんかどうせ受かんない」みたいに畏れる気持ちと、「俺ぐらいなら受かって当然だろう」みたいな自信と、両方あったんです。

杉浦

僕ら二人は、石川県出身なので進路を決める前から、昔からよく美大の存在は知っていて、凄い学校だなって感覚がありましたよ。金美ブランドというか(笑)。

細田

金沢出身の方はそう思いますよね。それに比べたら、他県の自分は、そこまで金沢美大のことをよく知らないで受験してしまった気はしますね 。ところで、杉浦さんは、なぜ芸術学を選んだの?

杉浦

僕がそもそも美大に入ったのは広告をやりたかったからなんですね。確か高校生で、ちょうど進学先を考えていた時に、東日本大震災があって。それでCMとかが自粛されてたことがあったと思うんですけど、暫くしてから、日本を応援して元気づけるようなコンセプトの広告が沢山生まれたことに、感銘を受けたことがきっかけだったかも知れません。 

細田

それで、芸術学なの?

杉浦

実は絵を描くのが苦手だったので、入試科目が論文だった芸術学から、とりあえず美大に入り込んで、中で何とかしようという感じでした。絵が描けなくてもコピーライターやプランナーっていう選択肢もありますし。

細田

なるほど。入学前から決めていたんだね。芸術学というと学芸員や研究者になるイメージだけど、そこから違う世界に行く人っていうのは、珍しいけど、面白いね。 

金沢は、美大を含んで街があるっていうのが凄い。

杉浦

四年間を過ごされた金沢での印象的な思い出や、金沢という土地や風土に何か影響を受けたことはありますか? 

細田

金沢という街のアドバンテージって、食事がどこに行っても素晴らしく美味しいってことなんだけど、大学生の時はそんなの食べてなかった。スーパーの売れ残りの割引品とか(笑)。

杉浦

美味しいお店あるんですけどね、僕は友達や先輩の家で騒いでただけでした。

細田

そう。他のことに一生懸命で、グルメ的なものにあまり興味がなかった。あとになって、金沢というのは豊かな食文化があって、こんな街は他にはない、ってことを知るので、もったいなかったなって思う。あとは、年間の半分くらいは天気が悪いじゃないですか? それで、キャンバスを自分の下宿先から学校まで持っていくのに雨が降ってたから、大変だったなあ。 

山戸

自転車に乗って、盾みたいにキャンバスを持って。「足の生えた額」が歩いてる!みたいな風景ですよね。確かに地元では、ちょっとした名物ですね。

細田

そうだね、それを考えると、そういう美大生たちを、受け入れてくれる土壌というか、芸術っていうものを自分の街の中に含んでるっていう、その精神じゃないですか? 伝統工芸の歴史もあれば、70年以上も美大を含んで街があるっていうのも凄いですよ。これはお金があるからできることじゃなくって、芸術を価値づけする考え方が歴史的にあるからであって、本当にありがたかったですよ。 

杉浦

はい、そう思います。

細田

最近、美大に行くと思うのが、今では油絵科でも、映像とかアニメーションとかをやってて、先生も居て、美大祭とかで作品を展示したりするじゃないですか。それがちゃんと評価の対象になって単位が取れるのは、無茶苦茶羨ましいんだよね(笑)。僕らの時はそういうことは一切なかったから。学生の頃、合評会に絵じゃなくモニター持ち込んで、映像作品を提出しことがあったけど、何の評価も得られなくて、ハイ次、みたいな感じだった(笑)。 でも、自分でも最初から評価を得るなんて思っていない。芸術や作品に対する姿勢や心意気を自分なりに表明できればよかったし、そのことは先生たちも暗に理解してくれていたとは思うけど。

杉浦

では当時、細田さんが在学中に有名なアニメとかテレビでやってたようなものとか、好きなアニメってありましたか?

細田

何があったっけ。あの頃だと「魔女の宅急便」とかかな?

山戸

昔、自主映画を撮られてたと聞きましたが大学の時からアニメや映像の世界に興味があって、その道に進まれたのですか?

細田

実は、大学時代は全然アニメに興味がなかったんです。高校の時までは好きで観てたけど、大学生になるとそれより面白い世界がたくさんあるんだ気づいてしまったので。その時はアニメというよりは映画をやりたかったんだよね。なぜかというと、油絵ってどこまでも個人作業だけど、それよりもっと集団で成し遂げるようなものに憧れていたんです。なので四芸祭の委員長をやったり、イベントを主催したり、自主制作で映画を作ったり、みんなで協力して作ることの面白さを強く感じてた。山戸さんは、視覚デザインだったら、グループで制作したりすることあるでしょ? 

山戸

はい、でも私グループ課題苦手でした。すごく(笑)。

細田

あっはっはっはっは(笑)。1人がいいのに、って?

山戸

もう、1人で完結出来たら楽なのにって。

細田

あまのじゃくだよね(笑)。僕はホントに1人はつまらないって思ってた。

山戸

そういえば、東村アキコさんの「かくかくしかじか」でも大学の暗黒期みたいな描かれ方をしていましたね。

細田

うん。まあ、なので、たくさんの人と作る映画をやりたくて、東映動画にアニメーターとして入ることになる。きっかけは、中学生時代に自主制作したペーパーアニメを東映に送ったら、プロデューサーの方が電話をくださったんです。『少年ケニヤ』という劇場作品でアニメーターを公募していて、審査に合格した、と。ですがそのときは学業を理由に断ってしまっだ。大学卒業前になって、図々しくまたプロデューサーの方に連絡したら幸いにも覚えてくださっていて、入れてあげるよって話になった。だから杉浦さんみたいに、ずっとこう最初から目標に向かって、って感じではなかった。やりたかったのはアニメというより、映画だったかもしれないなあ。

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上手いっていうのは、価値のひとつに過ぎないよね

杉浦

大学時代は絵を描いてきたと思うのですが、最も学ばれたことは何でしたか?

細田

作品っていうものは、どうやったら成立するのか、作品とは何か。ってことが在学中に分かってきたことですかね。それまでは、作ればそれが作品だと思うじゃん。ところが、それは実はぜんぜん違うんだってことが分かった。

杉浦

例えば、美術史の文脈の中で自分の作品は、どう位置付けられるかを分かって描かなくてはいけない、ということだったりですか?

細田

そう、それも要素のひとつですし、コンセプチュアルな要素っていうのがどれくらいあるかっていうこともね。ひたすら絵を描く中で、表現とは何か、作品とは何か、油絵とは何か、美術とは何か、芸術とは何か、ってことを考えることになる。キャンバスに絵の具を塗る行為は同じなのに、歴史上の作品と、自分の習作では一体何が違うのか。作品を作品たらしめているものは何か。作品にとって必要な要素は何か、とかね。美大という土壌では、そんなことをいつも考えているが普通でしたから。だから、東映に入ってアニメーターになった時は、同じ作品制作とはいえ、自分が思っていた作品作りとは、考え方や言葉の意味がまるで違うなってことに衝撃を受けたんです。芸術と娯楽は違うんだよ、などという単純な理屈では納得できなかった。絵を通して見るものに訴えかけるという意味においては同じだと思っていましたから。ですから、アニメーションの中でも作品と呼べるようなものってどうやったら作れんだろうってことを自分なりに試していく意識は、油絵科にいないと無かったと思うんです。

いや、例えば人によっては、作品になりうるかどうかなんて別に考えないで作ってたっていいものが出来ちゃうこともあるだろうし、美術史の文脈とかまるで知らないのに偶然文脈につながってしまう人もあるかもしれない。ただ自分自身は油絵科にいたせいで、アニメーション作りと向き合う時に、作品というものや表現というもの、芸術というものを意識せざるを得なかった。誰に求められたわけでもなく。そうしていくと結果的に、要するに油絵を学んだことと、油絵とは全然違うアニメーション作品を作ることの文化の差によって、かえって油絵とは何か、作品とは何かってことが分かったり、さらに相対的に、アニメーションとは何か、映画とはどうやって成り立っているのかってことが見えてきた。そういった一連のことが非常に大きかったんですよね。 

山戸

大学に行ったことで周りに同じような志を持った人がいたり、アプローチの違いみたいなものや、考え方とかスタンスの違いがあったりで、私は視覚デザインに居ましたが、美大だからこそ周りの他専攻の人からも沢山の刺激や影響を受けていたんだろうと思います。

細田

そうだよね、ほんとに。たとえば入学前はさ、絵が上手い人が偉くて、上手くない人は良くないみたいな、美大受験的な価値観ってあるじゃないですか。でも絵が上手いなんて、当然ながら絵画の価値のひとつに過ぎないんだよね。なのに学生ってそういう風に思いがち。絵は上手いけど作品はつまんない奴なんていくらでもいてさ。 

細田

こいつは自分の作品がつまらないっていう致命的な問題をどう解決するんだ? みたいな(笑)。実はアニメーションの世界でもそういうのいくらでもあるけどね。上手いってこと以外に何かアプローチはないのか、って思っちゃう。 

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文脈を意識する。

杉浦

細田さんは今の作品制作や自身の表現をする際に何か意識していることはありますか?また、時代と共に変化するものと、しないものがあるとすれば、それは何だと思われますか?

細田

僕の作品は、一本作るのに3年かかってしまうので、3年間そのテーマと付き合っていけるかどうかが大事ですね。3年どころか、10年20年と長く考えていける価値のあるテーマと、日々格闘しながら作品を作っているという感じです。長い間考えても覆らないものって嘘つかない信頼できるものになる。というか逆にそういうものをテーマにしないと、観客の皆さんに普遍的な価値を感じてもらえないと思うんです。時代によって変化するもの、しないものという話で言えば、例えば僕はアニメーション映画を、絵画の歴史の延長上の表現として考えています。よくアニメーション映画ってね、実写映画の中の傍流というか、一ジャンルでしかないと思われがちじゃないですか。だけど、僕はそうは思わない。映画の歴史は130年ほどであるのに対して、絵画の歴史は例えばキリスト教絵画だけでも1700年あるからね。で、そのコンテクストの延長上に現在の動く絵画=アニメーション映画があるとすれば、絵画の歴史の最先端に、僕たちは何を付け加えることができるのか、どんな表現の可能性を試していくのかが問われているわけで。学生時代から、千年二千年と世界の美意識を支配してきた西洋美術史っていう文脈の中で僕らは何を表現すべきかっていうことは考えていたので、それが今になっても自分の中の課題としてありますよね。ちなみに山戸さんどうですか? テレビ業界の人の考えてる文脈っていうのは、どういうものがあるのかな?

山戸

先ほどの絵画の歴史みたいなことでいうなら、ジャーナリズムですかね。

細田

そうか、そうだよね。基本的にはそこの切り口からテレビっていうのは出来てるのか。例えばバラエティにしてもその切り口なんだね。だからたぶん、その目まぐるしく変わるのは、世の中を見るためのジャーナリズム的な態度なんだな。僕はさっき言ったように、変わらないことに価値を置いて映画を作るけど、それとは全く逆なんだな。

山戸

そうですね、そうだと思います。それを面白いと思ってる人が、テレビを作ってるんですよね。よりスパンの短い世界で、そのサイクルでずっと繰り返してて、一か月とか一週間とかで、番組の案が出来てそれが当たれば1年2年と続いていくので、なんかその瞬発力みたいなものはなかなかテレビの業界の人が持ってる、わからないですけど、感のとがらせ方なのか、流行の捉え方なのか、自分が面白いと思ったものを信じて形にする力なのか分からないですけれども、今まだ入社して3年目で、3年しかいないので分からないんですけれど凄い速度でそれがなんか1年2年3年、10年みたいな歴史を創っていくっていう意味では目の前のことを必死にやる生き方というかスタイルとかは学ぶべきかなと思うんです。

細田

確かに、そうだ。僕もテレビやCMをやることもあったので、山戸さんの話はとても思い当たります。興味深いですね。ちなみに広告はどうなんですか? テレビと同じようで違うでしょ? ジャーナリズムじゃ、ないもんね。

杉浦

ありとあらゆるコミュニケーションの歴史が文脈に成りうると思います。消費だけを目的とするのではなくて、例えば、人の根深い所にある差別的な気持ちとか、今の時代に合わない悪しき文化みたいなものを、変えることができるような表現だったり、その時代の価値観を含んでいたり、純粋に表現として新しいのか、美しいのか、ってこともそうですし、より世の中を良くする表現やコミュニケーションって何だろうって意識していますね。そういう手段として広告って影響力があると思うので。

細田

自分自身の作品を振り返って並べてみると、共通するものが何かっていうのがわかる。自分ではそう思っていなくても、結果的にこういうものを自分は大事だと思っているんだなということに気づきます。だから、金美の存在も非常にね、大きかったですよ。

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まとめ

杉浦

とても有意義で、つい時間を忘れてしまいました、名残惜しいですがインタビューは以上となります。同じ金沢美術工芸大学の同窓生として細田さんと対談できたことは大変刺激になりました。ありがとうございました。

山戸

はい、貴重な体験でした。ありがとうございました。

杉浦

今後、自分たちも卒業生として後輩に胸を張れるように飛躍していけたらと思います。今日は貴重な時間を頂き、本当にありがとうございました。

細田

僕も楽しかったです、ありがとうございました。